擬人化現象

ところで私ども文化人のおとなの仲間では、放心したうつろなときにかぎってフトこの擬人化現象が顔をだすのはなぜか。心のひきしまったとき、活動しているときには、私どもの心のふかいところに沈んでいて露出できなかった原始人的な心が、心のゆるんだ隙間にヒョイと顔をみせるせいなのである。

だからおとなでも、自分のまわりの外界を支配する能力がほろびていく病、「現実との接触不能になる病」(ミンコフスキー)がはじまると、ちょうど原始人や子供とおなじようになまなましい霊魂賦与作用がよみがえる。

「ドアについたいかが死を意味するようだった。壁の模様はなにか異様で人間みたいにもみえた。悪魔か鍵孔をぬけていく猫にばけてその辺をうろつきまわっているのだと感じた。私か部屋をあるくたびに電灯がチカチカした。日が照っている。そして自分をみつめている。自分にむかって照っているのだ。雲も自分の方にうごいてくる。本をひらくと、悪いことかそのなかにひそんでいるようだった。魂はまるで影法師みたいにありありとしたものに見えた。

大きさはふつうの人ぐらい、いや、気持かそう思わすのか、悪と善とが人間のそとに実在するような気がした。人体と化した悪を私は見ることかできた。人の頭、一部、一人の人の姿。顔つきは暗くて、いかにも悪をあらわすにふさわしかった。太陽は生きものに見えた。私は太陽がこっちにたぐりよせられるのではないかと考えた。それは太陽か段々と足をはやめてのぼってくるように感じたからだった」。