「いいお産」を考える

こうして述べていくと彼女たちが体験によって感得し、次に続く奸婦たちに提唱した新しい出産方法は、方法論よりも、一般女性たちが忘れてしまっていた本来の女性の身体の機能や働きを再認識させ、身体観、出産観、ひいては人生観などの意識の変故にを迫るものであることがわかる。「歌を忘れたカナリアではないが、身体の力を忘れてしまった現代女性たち」に「自分の身体を知り、その普遍性や機能を理解し、身体を助産厚門家など他人のやり方に任せないで、一番よくわかっている自分自身が考え、具体的に竹押しよう!身体や、出産だけでなく自分の生き方や人心のあり方を決めるのはあなた自身だ」と伝えている。

また、私たちに意識変革を迫る、これらの僣遍的事実に気づいた決め手は、彼女たち自身が体験によって、正真正銘の真実を知ってしまったことである。それによって、これまで自分を縛ってきた文化概念から解き放たれることが可能となり、そのツ心」の解き放ちによってはじめて、体験者からの聞き取りも直接的な見聞も意味を持つことになったのである。これまで何度も述べたが、改めて、体験者がいかに、人々の心に強い力で働きかけて、真実をつきつけずにはおかないかということを示している。

いま産科医の行なう産科医療技術や出産は、革命的と言われるほど最先端の、高い安全性に保障されたバラ色の医療技術のようなイメージが強い。私か出産した一九六九年頃も、やはり産科医の介助する出産は、最先端医療の芳香を放っているように思えた。「そんなに何回もしないお産なのだから、できるだけ科学の最先端をゆく先生のところでにお産をしたい」というのが、私か産科医院を選んだ理由であった。周囲ではまだ、母子センターや開業の助産婦さん(大部分の人は「サンバさん」と呼んでいた)でお産している女性も珍しくなかった。

「サンバさん」という言葉の響きは、これから新家庭を作り、それをバラ色に染め上げたいと張り切っていた私にはとても古くさいような気がした。古い知識に頼って、旧態依然の助産技術で助産する年とった女性を連想させた。これではどうも「産ませてもらう」には頼りなかったし、第一科学的ではないと思った。

また当時、産婆や助産婦の介助によってお産し九大多数の先輩たちも、「産科医がいい」とすすめていた。彼女らがみてもらったお産婆さんと違って産科医なら、新しい注射薬や新開発の産科器機を使って出産を早めたり、帝王切開乍術によってどのような場合でも危なげなく赤ちゃんを「産ませてくれる」からというのだ。つまり産科医は、それまで自然に任せて、従うしかなかった出産という女性たちの危機を、人問の側から制御できる人という点て、にと産では一番信頼に価する人、というイメージが強かった。

こうして私たち産婦の側や、産婦を取りまき彼女に影響を与えている人たちは、「産婦は出産について何も学んでいないし知らないのだから、いいか産がわかるはずはない。いいむ産に出会うには優れたお産専門家の門を叩き、その人に任せ、産ませてもらうしかない」と考えていた。お産の専門家とはすなわち、長い間、女性の身体や病気、お産の仕組みなどについて、大学教育を受け、適切な最新情報や技術を修得した産科医ということである。