カースト制度は職業の分配

カーストはもともとは職業別に分かれた階級であって、差別が問題になってきたのはインドの長い歴史から見るとごく最近のことだ。歴史的にカースト制度は職業の分配と同時に責任分配にもなっていた。そのことを示す例として、マハーバーラタの中で、ドゥルヨーダナ王子とユディシュティラ王子のうち、どちらが皇太子になるかを決める場面がある。それぞれの判断力を比べるための課題として、人を殺した囚人4人が王宮に連れてこられた。総理大臣であったヴィドウラは、まずは、ドゥルヨーダナに「彼らをどのように裁くか」とたずねた。ドゥルヨーダナは、「この国で殺人の刑は死刑である。全員同じ罪を犯しているから、全員死刑だ」と判断を下した。「では、お前はどう思うか」と聞かれたユデイシュティラは、「まず、彼らのカーストを教えてください」と言う。すると、うち一人は、ブラフマンで、一人はクシャトリヤ、一人はヴァイシャで、残る一人はシュードラであった。

それを聞いたユディシュテイラは、フンユードラは一番無知であるので、彼の罪は一番軽い。従って、彼忙は懲役4年。ヴァイシャはシュードラよりは無知でないので、彼の罪はシュードラより重い。従って彼には懲役16年。クシャトリヤは社会を守る立場にいながら殺人を犯したので、彼の罪は一番重い。彼には国の法律どおり、死刑。ブラフマンはすべてをよくわかっていて、社会を教える立場にあり、神様の化身である。私たちは彼を裁くことはできないから、本人自身が自分の償い方を選ばなければならない」と判断した。犯した罪は同じでも、カーストが低ければ負うべき責任も軽いことが、当時のインド社会では理解されていたのだ。ちなみに、チャーナキヤが育てて王にした子ども、チャンドラグプタは、クシャトリヤの出身とも、シュードラの出身とも言われるが、父代わりの叔父はヤギの乳絞りを生業にしていて貧しく、正規の教育を受けたことがなかった。ある日、子どもたちが王様ごっこをやっているところに、チャーナキャが通り掛かった。その時、王様役の子どもが、私はインドの王である。

私の国ではみんなインド人である。それなのに、インドを別れ別れにすることは許せない!と演説していた。その子どもにチャーナキャが「お前はなかなかよいことを言う。でもお前の国で、誰かがお前に反対したらどうするのかね?」と言ったら、子どもは驚いて、「ごめんなさい。僕はただの子どもで、まだどうしたらいいのかわかりません」とべそをかいた。「お前はどの先生についているのだ」「僕は仕事をしなければならないし、教育は受けていません。私をあなたの生徒にしてください」。そうしてチャーナキャの弟子になったのが、チャンドラグプタだったという。話を元に戻すと、25歳までの学生期は、先生のところへ行って勉強するのが一般的な習慣だった。紀元前400年にはタクシャシラのような有名大学も存在していて、インド中から学生が集まって、先生たちと共同生活をしながら勉強した。

インドのこのような大規模な教育システムは、仏教の精舎のようなものが起源とされている。平家物語に出てくる祇園精舎はこの一つであり、学校ではないが、家を出て知恵を求める修行者たちが集まって居住し、師の教えである説法を聞きながら、修行生活を営んだ。後には大寺院において学校のような組織が作られたと考えられ、三蔵法師のモデルとして知られる玄奘も北千ンドのナーランダ寺院に学んだ学生の一人であった。ヒンドゥー教の僧院は、8世紀前半のヴェーダーンタ学派の大哲学者シャンカラが初めて創設したと言われ、宗教・哲学などの知識継承の拠点となって現代にも受け継がれている。学校のような組織は上記のナーランダの他、仏教では1203年にイスラム教徒の軍勢により破壊されたヴェクラマシーラ寺院があり、他に医学の研究が盛んであったタクシャシラ、天文学の研究が盛んであったウッジャイニー(現ウッジャイン)などにもあったことがわかっている。

このような大規模な学校でなくても、生徒たちは先生のところへ行って、弟子入りして学ぶことが基本であった。このシステムは「クルクル」と呼ばれた。グルとは先生のことで、クルは家族・家という意味である。生徒たちが「ビクシャ」(お布施)をもらいに行って、それを家族全員で頂く。生徒たちは先生の奥様のことを「グルマタ」(先生母)と呼んで、彼女の家事を手伝ったりする。そのため同じ先生のところで教育を受けた生徒たちは大人になっても、「グルバーイ」(先生兄弟)と呼ばれ、現在の同級生・同窓生のように、人生のあらゆる側面で協力(また時には競争)しあった。さらに、共同生活をしていたため、同じ年、同じクラスの生徒たちだけではなく、年齢の上下関係なくグルバーイと言われる。