母国責任主義を完全に否定

改善後の第一次バーゼル協定の挫折は、国際金融の暗部を垣間見せる大事件が契機となった。ロンドンの金融街ティーのすぐ後方を流れるテムズ川に巨大なブラック・フライヤーズ橋が架かっている。ロンドン市警察の報告によれば、この橋脚で82年6月に、イタリア最大の商業銀行であるバンコ・アンブロシアーノの頭取が首吊り自殺を遂げた。だが、スキャンダルに絡んだ、頭取の自殺を装った他殺体の発見と同時に、ユーロ市場は予想外の事態に直面することになった。

イタリア中央銀行は国内ではバンコ・アンブロシアーノの預金者保護など、抜本的対応策を素早く発動し、同行の経営危機がイタリア国内における金融システムの動揺に結び付くことを回避する方向に動いた。だが、イタリア中央銀行は、ルクセンブルグを本拠とする同行の現地法人(他国の銀行との共同出資形態をとるコンソーシアム)であるバンコ・アンブロシアーノ・ホールディングの危機に対しては、いかなる救済策を発動することも断固として拒否する姿勢を示した。このことは最悪の事態を想定するならば、国際金融危機に結び付きかねないことを意味した。だが、こうした事態を十分に認識した上でも、なおかつイタリア中央銀行ルクセンブルグ子会社に対する救済策の発動を強く拒否したのである。

こうしたイタリア中央銀行のスタンスは、第一次バーゼル協定の中枢部分である母国責任主義を完全に否定するものであった。イタリア当局がこうした動きに出た表面上の理由は、ルクセンブルグ現地法人はバンコ・アンブロシアーノの100%出資銀行ではないため、中央銀行が救済に出ると、意図せざる形で他国の出資銀行をもサポートすることになるためであった。銀行救済の資金が最終的には財政資金によって賄われるとすれば、中央銀行は他国の共同出資銀行までも救済するわけにはいかないのである。このことはイタリア当局にだけ当てはまることではなく、他の国も同様の行動を取る可能性があると考えられる。

バンコ・アンブロシアーノの事件は、ユーロ市場が危機に直面した際の対応策について、第一次バーゼル協定で取り決めた合意が現実にはまったく機能しないことを露呈させた。このためG10加盟諸国は「第二次バーゼル協定」をとりまとめた。この合意では再度、母国の中央銀行が、ユーロ銀行の監督及び不測事態発生の際の対応について、最も大きな責任を負うことになった。