農民の不満

重工業部門の拡大のために必要とされたのは、「賃金基金」ばかりではない。そもそも重工業を建設するための「蓄積基金」が、いずこにか求められねばならない。往時の中国のような「初期条件」の国においては、これもまた農業にたよるよりはかなかった。重工業拡大のための蓄積を可能にしたものが、綿花、油料作物、糖料作物などの「経済作物」を中心に組みたてられた「鋏状価格差」(シェーレ)であった。

農民は、食料のみならずこれら経済作物をも、政府の定めた低い固定価格で国営商業部門に売り渡すことが義務づけられた。経済作物は、国営商業部門を経て国営軽工業部門に低価格で出荷され、これを原材料として製品化された衣料、食料油、糖類などが、農民と労働者に、こんどは高価格で販売された。

国営工商業部門の利潤は当然のことながら高く、この利潤は工商税とともに国庫に上納され、これが国家財政収入の中核を形成した。この財政収入が、基本建設(設備投資)基金として国営重工業部門の蓄積源となっていった。すなわち、重工業拡大の原資は、シェーレを通して農民から吸引された農業余剰にあった。

農民の不満をおさえて、食料と経済作物の国家への売渡し価格を低位に固定し、農民に販売する工業品価格を高位にすえおくためには、流通市場の国家掌握だけでは不十分であった。農民が国家への売渡しを忌避して、生産拡大に協力しないことが懸念されたからである。

それがゆえに国家が農民労働を組織し、かつ農民への分配にも支配力を行使することにより、農業余剰のより確実な吸引を図ることが必要となった。この要求に応えるための試みが、人民公社に象徴される農業集団化であった。農業集団化はつぎのような要因が加わることによって、いちだんと強力に推進された。