米国が軍事力を行使する状況

米国の戦略目的のために、軍事戦略面で米国防総省は米軍部隊の恒久的な海外駐留、ローテーションでの海外展開、演習、合同訓練、ないしは軍隊間の交流目的での一時的派遣、共同防衛、安全保障支援、国際軍事教育訓練(IMEI計画、国際兵器協同計画などの各種の手段を用いていくとしている。そしてこれらの国防総省による任務は(当然のことだが)米国の外交ときわめて緊密に一体化されたものになる。米国にとって死活問題であり、重要な関心を持つ地域の安定を増大させるためには、「変化する安全保障環境への脅威に対応するため基本となる同盟関係や友好関係を強化していく」が、米国と信頼できる友好関係にも、また明確な敵対関係にもない国に対しては、米国は「建設的な安全保障関係の樹立に努め、それらの国が将来敵とならないように、民主主義体制をとるように仕向けていく」とする。

この背景には米国の「真の民主主義田家同士の開で戦争は発生しない」という考え方がある。それが妥当か否かについては議論があるところだろうが、米国のこの考え方が、ともすれば他の国との間で民主主義や政治体制のあり方についての見解の相違、軋蝶を生む理由の一部となっている現実は否定できないだろう。さらに米軍は「全世界の平和と安定にとっての基礎である拡散防止、自由航行、人権尊重、法の秩序が守られるように協力していく」のだが、これがアジア・太平洋地域でも米国との間で摩擦を生む要因となってもいるのである。

では、米国はその世界戦略の遂行において、あらゆる場面で米軍を使用するのかというとそうではなく、「米国の国家利益と資源・資材の制約から、米軍の使用は選択的でなければならず」、米軍の投入とその時期に関しては、まず第一に米国の国益と関心、米国にとって死活問題であるか、重要であるか、あるいは人道的な意味合いのものかという点からと、その軍事的介入に伴う経費とリスクが、米国のこうした関心と引き合うものであるか、という点から判断されなければならないとされている。

先にも記したように、米国がその軍事力を行使するのは「米国にとって死活問題であり、重要な関心を持つ地域」に対してだけでしかない。したがって、例えば日本の領土問題などは、米国の世界戦略の中においてその問題に関与する行為が自国の利益にかなうなら、外交と軍事の一環として日本の支援に回ることはあっても、そうでない場合は、日本が領土権を争った相手に日本本土までもが攻撃され、大きな被害を与えられ、日本が米国から政治的にも離れるような状況が生まれない限り、その軍事力を日本のために使うことはないであろう。

冷戦当時なら、日本がソ連の不法占領であると主張している、いわゆる北方領土(国後、択捉、色丹、歯舞諸島)を日本に返還させるための外交的支援や、またそこから日本本土に対してソ連が軍事力を行使するような状況では、日本を守り、北方四島を米軍が攻撃するというシナリオは考えられたが、冷戦が終わり、ロシアが太平洋進出の野望を大きく後退させた今、米国にとってこの日本の領土問題に積極的に関与する利点はない。後でも述べるが、日本は日米安全保障条約や米国との外交関係において、特に領土問題に関しては幻想を抱いてはならないだろう。