「日本的経営」に抱く幻想

スマーナエ場の労働者の意見は直接きいていないので、彼らが現状についてどう考えているのかわからない。「ニーズウイーク」の記者が書くように、すでに「失楽園」であり、「日産ではたらくアメリカ人労働者は、最終的にどちらが自分たちの利益をより強力に擁護してくれるかを選ばなければならなくなるインボルブメントーサークルなのか、ピケラインなのか……」の状況にたちいたっているのかどうか。

ただ、これまで、アメリカの労働者や労組幹部の話をきいての感想でいえば、彼らは「日本的経営」に幻想を抱きすぎているようだ。アメリカの経営者は特権的すぎて、日本ほど民主的でないようなのだ。たとえば、駐車場が幹部と労働者とおなじとか、おなじカフェテリアでメシを食うか、自由に雑談できるとか、日本の労務管理の特徴でもある「ニコポン」が、あたかも経営者の民主性のひとつのあらわれと思われるほどに、アメリカの経営者は専制的なようである。

人事課長によれば、日本的画「王義の表現である制服でさえ、[みんなが同等という雰囲気づくりに役立っている]という。好況になれば大量に人員を採用し、不況になれば問答無用式にレイオフするアメリカ型の経営にたいして、日本型経営は「話し合い」と「生涯雇用」をモットーにしているので、失業に苦しんできたアメリカ人にとって、さまざまな幻想を与えているのである。

それと労働強化は別問題である。「ニューズウィーク」誌の批判を受けて、労働強化についての質問がだされると、人事課長は「ハードという不満はない」と断言した。「もしも仕事かきつい場合には、上司と話し合って仕事をよりわけする」とのことである。賃金は、「アメリ自動車産業の平均を支払っている」というだけで、教えてもらえなかった。年に一回、八月に二〇〇項目にわたって質問し、査定する。ボーナスは成功報酬として、品質を上げ、コストを下げたときに支払う。残業も部門別に偏重しないように平等にする。提案制度を採り入れ、QCサークルをつくり、ラジオ体操を実施、年に四回、全社の集会をおこない週刊のHR紙を発行している。アメリカ人による「日本的経営」ともいえる。

「日本的経営としてレイオフはやらないとのことですが、景気が後退したり、競争が激しくなって売れ行きが落ちたりした場合、どうするのですか」とわたしは質問した。「低コスト、高品質のものをつくって市場で売れているかぎり、レイオフする状態にはならない。生産性が向上すれば、エンジンの製造などもはじめる」一生懸命はたらいて利益をあげればレイオフなどはない。きわめて日本的な回答である。輸出産業としてドルを稼いできた高能率生産の造船ではすでに大量解雇が実施され、鉄鋼はおろか、自動車産業でさえ、やがて人員整理がはじまろうとしているのが、日本的経営の結末である。