華僑につきまとう中国の影

『東南アジアにおける中国の影響力』松本三郎、川本邦衛編著、東南アジアにおける華僑の淵源は、十九世紀欧米列強による植民地経営が生んだ膨大な労働力需要に応じて、この地に移り住んだ華南沿海部の貧農である。混乱と貧困の清末中国は貧農の流出をおしとどめる術をもたず、むしろ彼らを蔑視したのであり、その意味で華僑は「棄民」であった。

棄民とはいえ、華僑はこれを受け入れる社会にとっては中国的存在そのものである。インドネシアの中国観は、「遠く海を隔てた両国が直接に接触する過程で生まれたというよりは、インドネシア在住華人のあり方を通じて、同国の指導者および原住のインドネシア大が抱くイメージが長年にわたって醸成してきたものだ」という高木暢之氏の指摘は、正鵠を射たものであろう。

いずれにせよ東南アジアの各国は華僑の背後につねに巨大な中国の影を意識せずにはいられないのである。国民統合においてなお未熟なこれら諸国にとって、そして何よりも華僑自身にとって、どうにも解きほぐすことのできないおそらくは本質的な厄介さがここにある。厄介さを増幅させてきたのが、当の中国の華僑政策である。

淵源が棄民であったにせよ、彼らが新居住社会の一大勢力となるや、華僑は中国が影響力を行使するための「前線」となる。「中国は大軍事力こそもたないが、その代わりにワシントンやモスコーのもたない武器=巨大な人脈を東南アジア各地に有し、それを戦略の具として利用してきた」というのが松本三郎氏の指摘である。

華僑も三世、四世の時代となり、中国の求心力は今日それほど強いものではない。改革・開放路線の定着とともに独善的な華僑政策も影もひそめた。しかし中国が改革・開放を通じて近代化に成功するならば、今度はその事実自体が華僑の華人意識を発揚させ、これが各国の国民統合を阻害する要因とならないとはいえまい。