都市工業の一端を担う

彼女たちは、朝起きると中央教会でのミサを聞き、そのあとそれぞれの小屋に戻って沈黙のうちに仕事にはげむ。仕事をしつつも、祈りをたえずくり返し唱えている。小屋のなかでは、代表して二人の女性が詩編を交互に朗誦して、他の者たちは心のなかでそれをくり返す。晩課には、お勤めのために中央教会にもどってゆく。彼女らはしばしば、パンと水で断食し、‐またその衣服は灰色であった。これらの祈りと仕事を介して、彼女たちは道徳的な教育と家庭の手仕事に習熟してゆく。また、そこから一歩ふみ出て、職人としても一人前となってゆく。

そのすばらしい「教育」の噂を聞いて、良家の娘たちがベギンのもとに送りこまれてきた。それには、娘たちが長じてのち、宗教生活や結婚生活でうまくやってゆけるように、との期待がこめられていた。女性たちがひとつの小屋や部屋につどって祈りをしながら手仕事にはげむ、という構図は、どこか第一節でみた「ギュナエケウム」を硝衝とさせないだろうか。「ギュナエケウム」の女たちが噂話にうつつをぬかしながら、女性たち固有の知識を伝授しあっていたように、ベギンたちも霊的生活に加えてさまざまな知識や技術を伝授しあっていたのである。

さらにベギンたちの仕事は、家内の仕事であった古代や初期中世の「ギュナエケウム」での糸紡ぎや織物の仕事より一層規模がおおきく、ゆえに、当時発展のきわみにあった当地の織物工業の一端を担っていた。都市の工業センターからはペキン会に、羊毛と布が送りとどけられる。彼女らにまかされたのは、単純な洗浄の仕事であった。彼女たちには、機織りや縮絨や染色などの、織物業の中心的プロセスはまかせられなかったようである。彼女たちの仕事は一般に、男の支配するギルドの権利や利益をおびやかすことぱなかった。しかしケルンのように、まれにペキンの仕事の規模がおおきく成長する場合がある。そのとき、独占権をおびやかされると危惧したギルドは、なりふりかまわぬ攻撃を浴びせた。

手先の器用なベギンたちは、ほかにレース編みも得意であった。今日ベルギーを訪れるものは商店のショウウインドウに飾られた美しいレースを賛嘆の目をもってめでるであろう。それも、もともとペキンらの得手な仕事であったのである。さらに彼女たちは、市民や聖職者の家での雑用をしたり、洗濯、醸造ローソク作りなどにもたずさわった。また富裕な市民や王侯の建てた救貧施設で老人や貧者・病者の世話をするのも、その近くに住むペキンの仕事であり、さらに葬式にもトト泣き女そのほかの役目でなくてはならない存在であった。

以上がペキンの「社会的」役割だったとするなら、それでは、「精神的」役割とは、いかなるものであったのか。彼女らはきわめて高い霊性をもち、福音主義にのっとって神につかえ、しばしば神秘主義思想を抱懐したから、その人格の影響は彼女たちに接する者にすぐ伝わったであろう。が、それ以外にも、興味ぷかい精神的影響をあたえた。つまり、これはネーデとフントのペキンよりもイタリアのトスカナ地方のピンツォケーレについてよく知られているのであるが、彼女らは素晴らしいことをなしとげる「秘密」を所有していたのである。