国際機関創設のための連合国会議

拒否権についても四国の同意を得たが、その具体的な範囲については、四五年二月のヤルタ会談に決着が持ち越されることになった。米、英、旧ソ連首脳によるこのヤルタ会談では、拒否権は手続き問題には適用しないことなどが決められ、四月二十五日から六月二十六日まで、サンフランシスコで開かれた「国際機関創設のための連合国会議」に最終提案が持ち込まれた。このサンフランシスコ会議では、世界五十力国の代表が最終日に国連憲章に調印した。またポーランドは出席しなかったが、後に調印したため、「憲章メンバー」は五十一力国に上った。国連が国際機関として正式に発足したのは、五常任理事国と、その他の調印国の過半数が批准した十月二十四日だった。

このサンフランシスコ会議では、中小国が中心となって、草案に幾つかの重要な修正を加えた点が注目される。一つは、前述したように、安保理に対して総会の権限を強化した点であり、もう一つは、憲章第五一条に、「安保理か国際の平和および安全の維持に必要な措置を取るまでの間、個別的または集団的自衛権の固有の権利を害するものではない」という文言を付け加えた点だった。憲章は当初、互いに武力行使を禁じ、違反者に共同で対処するという「集団的安全保障」の構想に立っていたが、ここで重要な例外が認められ、その後の国連の変貌の伏線となって行った。当時の議論は、地域的な取り決めを重視し、「集団的安全保障」を発動するまでの暫定措置として例外を認めるという趣旨だったが、その後の冷戦で安保理の機能が麻蝉すると、むしろこの「個別的・集団的自衛権」によって、東西の軍事条約が根拠づけられ、武力行使が正当化されるようになったからだ。

日本産業の空洞化

平成不況の中で一層の円高が進み、為替レートで評価すれば日本の国内生産コストがアメリカのような高コスト国をはるかに上廻るような事態になると、もはや最も効率的な日本の企業でもそのままの状態で国際競争力を維持することは難しくなる。実際一九九四年の前半に円の対ドルレートが一〇〇円に接近した頃、日本の最も効率的な自動車や電子産業などのなんとか赤字を出さないギリギリの社内レートは一一五円前後であった。

もしこうした為替レートが大きく変化せず、あるいはさらに円高方向へ進むというようなことになると、国際競争の波にさらされる日本の最も効率的な産業部門や企業群は低コストを求めて海外にその生産能力と雇用機会を移転するようになるだろう。そうなると日本の国内では産業が空洞化し、良い一雇用機会の減少によって失業が増大するおそれがある。

もちろん生産の海外シフトが起きても、日本の産業がただちに空洞化したり失業が急増したりするわけではない。日本の産業の技術はかなり高度な水準にあるから生産能力が海外に移転される過程では日本からそうした海外地域へ生産設備などの資本財が輸出されるため、過渡的にはかえって日本国内の資本財生産が刺激されるという効果も予想される。

しかし、技術移転が進展してゆけばやがて高度な技術も移転され資本財生産そのものも海外ヘシフトしてゆくであろうから、やはり長期的にはそのままでは日本経済の空洞化と失業の増大は避けられないだろう。しかも、日本の製造業の海外生産比率は一九九三年時点ではまだ六%程度であり、二〇%前後の水準に達している欧米諸国にくらべれば著しく低い。したがって国内の高コストに対する産業界の適応が進むにつれて、日本の産業の海外生産比率は今後まだ大幅にふえる可能性がある。

この問題は日本の将来の経済産業構造をどう築くかという経済政策や産業構造政策にとっての重大な戦略課題であるが、企業にとっても重大な戦略課題を提起する。企業は海外直接投資を効果的に進めることが大きな戦略課題となると同時に、国内に中核的な生産能力と開発能力を維持することが重大な課題となる。

都市工業の一端を担う

彼女たちは、朝起きると中央教会でのミサを聞き、そのあとそれぞれの小屋に戻って沈黙のうちに仕事にはげむ。仕事をしつつも、祈りをたえずくり返し唱えている。小屋のなかでは、代表して二人の女性が詩編を交互に朗誦して、他の者たちは心のなかでそれをくり返す。晩課には、お勤めのために中央教会にもどってゆく。彼女らはしばしば、パンと水で断食し、‐またその衣服は灰色であった。これらの祈りと仕事を介して、彼女たちは道徳的な教育と家庭の手仕事に習熟してゆく。また、そこから一歩ふみ出て、職人としても一人前となってゆく。

そのすばらしい「教育」の噂を聞いて、良家の娘たちがベギンのもとに送りこまれてきた。それには、娘たちが長じてのち、宗教生活や結婚生活でうまくやってゆけるように、との期待がこめられていた。女性たちがひとつの小屋や部屋につどって祈りをしながら手仕事にはげむ、という構図は、どこか第一節でみた「ギュナエケウム」を硝衝とさせないだろうか。「ギュナエケウム」の女たちが噂話にうつつをぬかしながら、女性たち固有の知識を伝授しあっていたように、ベギンたちも霊的生活に加えてさまざまな知識や技術を伝授しあっていたのである。

さらにベギンたちの仕事は、家内の仕事であった古代や初期中世の「ギュナエケウム」での糸紡ぎや織物の仕事より一層規模がおおきく、ゆえに、当時発展のきわみにあった当地の織物工業の一端を担っていた。都市の工業センターからはペキン会に、羊毛と布が送りとどけられる。彼女らにまかされたのは、単純な洗浄の仕事であった。彼女たちには、機織りや縮絨や染色などの、織物業の中心的プロセスはまかせられなかったようである。彼女たちの仕事は一般に、男の支配するギルドの権利や利益をおびやかすことぱなかった。しかしケルンのように、まれにペキンの仕事の規模がおおきく成長する場合がある。そのとき、独占権をおびやかされると危惧したギルドは、なりふりかまわぬ攻撃を浴びせた。

手先の器用なベギンたちは、ほかにレース編みも得意であった。今日ベルギーを訪れるものは商店のショウウインドウに飾られた美しいレースを賛嘆の目をもってめでるであろう。それも、もともとペキンらの得手な仕事であったのである。さらに彼女たちは、市民や聖職者の家での雑用をしたり、洗濯、醸造ローソク作りなどにもたずさわった。また富裕な市民や王侯の建てた救貧施設で老人や貧者・病者の世話をするのも、その近くに住むペキンの仕事であり、さらに葬式にもトト泣き女そのほかの役目でなくてはならない存在であった。

以上がペキンの「社会的」役割だったとするなら、それでは、「精神的」役割とは、いかなるものであったのか。彼女らはきわめて高い霊性をもち、福音主義にのっとって神につかえ、しばしば神秘主義思想を抱懐したから、その人格の影響は彼女たちに接する者にすぐ伝わったであろう。が、それ以外にも、興味ぷかい精神的影響をあたえた。つまり、これはネーデとフントのペキンよりもイタリアのトスカナ地方のピンツォケーレについてよく知られているのであるが、彼女らは素晴らしいことをなしとげる「秘密」を所有していたのである。

「菅首相、正式に退陣表明」から首相の価値が分かる

どうやら、本当に降りられるようです。さまざまいろんな問題が残っておりますが、まずは「お疲れ様です」と言うことにしましょう。

一時期は驚異的な粘り腰で小沢一郎さんを手玉に取ったり鳩山さんがピエロにさせられたりと、いろんなエピソードが残りましたけれども、日本国および日本国民としては、この引き伸ばされた菅政権から何らのメリットを得られず、要するにアレは何だったのかと頭を抱える状況になったのが残念です。

基本的に、私自身の主義主張としては「一度国民の信託を得たのであれば、なるだけ長期政権を担当して安定した政治状況を作り上げることが国民の利益に資する」という考え方であり、確かに菅さんは期待ほどの成果を出す状況や条件を揃えられなかったけれども「せっかく担いだんだから、震災対応や財源問題など政策的な成果が出るよう民主党その他周辺もちゃんと支えろよ」と思っていました。

国内政策ももちろんですが、外交の舞台では日本の影響力が大幅に低下している状態です。どうせ辞める首相と会談してもしょうがないと思う各国首脳が会談に応じないという状況に陥るのは、本当によろしくないよね、と。

総選挙でもやらない限り民主党が政権党に入るのは当然で、同じく参議院が反対したらまともに法案が通らない現状も変わりません。この変革の時代に、スピード感ある政治が実現できなかったら、そりゃ国民の生活は楽にならず、経済成長もしません。でも、同様に民主主義である以上、そういう制度であり、国民もまたそういう選択をしたのだから、意見はいろいろあるだろうけどうまくいくよう状況下で努力するしかないんですよね。

もはや、政局に関心が移ってしまっているのですが、首相になるための数合わせは構造上しかたないとしても、小沢さんに前原さん支援をしない方向で一致したとか、首相ってポジションは本当に軽いんだなあ、と。党内の有力者を束ねて、挙党一致で政権運営に携わっていこうという気配がないですから。

「日本の政治はずっとそうだった」と諦めるのは簡単ですけど、もうちょっとやり様はないのだろうかと考えてしまうところでございますね、はい。

アジア域内貿易の増加

すでに激しい経済摩擦が起きているアメリカからではなく、アジアから貿易黒字を稼ぐ比重が高まったということは、それだけをみればたしかに日米間の貿易不均衡問題の激化が避けられたことになる。しかし、このまま対アジア出超額の比重が増加していくことによって、日本をとりまく貿易不均衡問題が緩和の方向に向かっていくのかといえば、それはきわめて難しい。

というのは、すでにみたように日本のアジア向け輸出が増加している背後にぱ、アジア諸国での産業基盤の整備に伴って日本からの素材輸出が増加していること、またアジアに進出した日本企業が、現地で調達できない機械や部品などを日本から調達しているなどの事情がある。これらは結局アジアからの先進国へ向けての輸出の増加に結びつく。そのさい、中心はやはりアメリカ向けの輸出であろう。実際、アジアの日系企業現地生産分の多くは、アメリカ向けの輸出にあてられている。

最近は、アジアの域内貿易が増加しているが、そのことをもってアジアの先進国市場からの自立化が進んでいることを強調する議論が少なくない。しかし、「こうした域内貿易の拡大は、最終的には先進国向けに輸出される製品の生産工程が直接投資を通じて東アジア地域に分散し、その結果として製品・半製品の域内取引が増加している」(『日本銀行月報』一九九三年一二月号)という側面が小さくない。

日米および東アジアの貿易関係について、八五年と九二年とを比較した図をみても、たとえば、NIESは対米黒字を減らし、対中黒字を増加させているが、他方で中国の対米黒字(香港経由向けを含む)が増加しているという関係になっていることがわかる。これと同様に、日本の対アジア黒字の増加も、結局はアジアの対米黒字の増加に結果する可能性が高く、そうだとすれば日本の黒字、アメリカの赤字という国際的不均衡はむしろ拡大することになる。

図書館が収集・蓄積する情報の有効利用

リアル書店の店員さんならやらないような失敗です。電子メールで大量に送る商品情報ですから、コストは問題にならないのでしょうが、それですっかり、わたしはAmazonからの宣伝メールを読まなくなりました。さて、ここまでの話をふまえて、無料ビジネスの面で進んでいるのは、紙の本か電子書籍か。両方の意見がありそうですが、わたしは、現在の日本では、まだリアル書店のほうが進んだ無料ビジネスをしているとみます。日本では、電子書籍の無料より、リアル書店の立ち読み無料のほうが。情報戦略として優位にあると感じるからです。

ここで、出版ビジネスの情報戦略について、隠れた大きな問題点を指摘しておきましょう。無料とも大きな関わりがあることです。ただし、無料ビジネスではありません。本を無料で貸し出す図書館のことです。近年、図書館のなかには、出版社や著者が顔をしかめざるをえないやり方を平気でやるところが出てきて、「図書館問題」といえる問題を引き起こしています。ハリー・ポッターのシリーズのように、最初から人気が高いことがわかっている新刊を、ひとつの図書館が数十冊(たとえば50冊とか)まとめて買って、どんどん貸し出す。また、新聞広告などでの新刊の宣伝がまだおこなわれていない段階から、図書館が新刊情報を流して、予約を受け付ける。

通常の新刊販売に明らかな悪影響をもつことでも、遠慮なくやる図書館が出てきているのです。もちろん、人気新刊の大量購入のような問題は、出版社や著者にとって対策を考えるべき問題のひとつでしょう。ただし本書では、この問題については深入りしないことにします。わたしは、「真の図書館問題」は別にあると考えます。図書館は、無料で本を貸し出すことで、大量の顧客情報を収集しています。TSUTAYAを例に説明したように、なにかを貸す取引は金融(ファイナンス)の要素をもちます。だからTSUTAYAは高いレベルの顧客情報を確実に収集できて、Tカードを通じてTSUTAYAが蓄積した顧客情報を活用できる企業(たとえばファミリーマート)は、きめ細かな販売促進ができます。

大きかった世論の振幅

日本における経済変動とそれに対する世論の動きには、次のような共通した傾向を見ることができるのではないだろうか。まず、大きな好況の過程では、それによってもたらされる生活パターンの変化がジャーナリズムで大きく取り上げられ、デモンストレーション効果によって、さらに好況を加速する。

ところが、これがある限度を超えると、経済に対する正反対の態度が表面に現れ、従来内包されていた矛盾や問題点に焦点があてられる。ここに新しい「流れ」が生まれ、山本七平氏の言う日本独特の「空気」を醸成することになる。その矛盾や問題点について明白に責任のある当事者が容易にそのことを認めないため、糾弾は激しさを増し、時に感情的になって、経済社会の亀裂を押し広げてゆく。

こうした振幅の大きさは、高度成長期の「歪み」が顕在化した60年代末にも一度、現れている。この時期は、経済成長の副産物として物価が上昇し、加えて公害病の発生に見られるように環境の悪化が表面化した。企業は空気や水の汚染源として集中砲火を浴びることになったが、そのために環境庁が新設され、種々の公害規制が立法化されるなど、それなりの効果をあげることができた。

だが、忘れてはならないのは、高度成長期に対する心理的調整を国民がなお必要としていた70年代初期に、時をおかずして起こった石油ショックがその心理状況を一変させたことである。この死活的エネルギーの価格上昇と供給面への不安に国民の関心が集中し、続く深刻な不況のなかで、「くたばれGNP」的発想は影をひそめた。

80年代未にかけてのバブル経済の場合はどうか。当初は、好況トに物価は安定し、国民は、アメリカに追いつき、これを追い越した日本経済の未来に明るい展望を抱いていたはずである。また、土地・株式の含み益は何らかの形で、その経済社会の一員である国民を潤してもいたであろう。

だが、やがて矛盾が顕在化すると、安定した物価の背後から強力なストック・インフレが姿を現す。ストック経済の時代などともてはやされたものの、現実にはストック格差の時代であって、またたくまに「一億総中流階級」は単なる幻想になってしまった。潜在的な不満は爆発の時期を待っていたのである。

ここまで低金利政策を継続してしまった日銀(と実質それを支配した大蔵省)に、基本的な責任があったのはもちろん、その政策のもとで規律を欠いた上地関連融資を肥大化させ、暴騰を演出した民間金融機関の責任も追及されなくてはならない。

だが、現実の問題としては、暴騰した地価を前提とする巨額の不動産関連融資が行われてしまっている。地価を一挙に引き下げることは、その結果、合理的な価格水準が達成されるとしても、金融システムには致命的打撃を与えるのである。

これらを合わせ考えると、土地バブルの調整は、とりあえず燃えさかる焔を消し面め、その後は自然鎮火を待つというのが経済的合理性に基づいた現実的判断であった。また、調整という以卜は、ピークからは二割の水準というのが限界であった。

銀行が自己規律に基づいて、融資額を地価の8割にとどめていれば、地価がピークから二割下落したところで基本的に不良債権は発生しないはずである。これでも地価はなお割高で、国民の不満は残るとしても、経済の成員でいずれはギャップが解消されるのを期待する・・・これが現実的で破綻の少ないシナリオであったと考えられる。